既存の枠組みを破壊するサービスは、得てして「合法」と「非合法」の境目の立ち位置となりがち

こんにちは。宿題専門の家庭教師・宿題代行「家庭教師のココア」代表の高野祐大です。

小学校から大学・社会人の課題や宿題を代行する「宿題代行」のサービスは、普段から批判をされるサービスとなっておりますが、やはりアンダーグラウンドなサービスとして認識されることが多いものであるかと思います。

法的には問題がない

宿題代行などのサービスを規制する法律等は、現状では、特段存在しません。また、法律の専門家等の意見を参照しても、法規制があるものではないという見解です。

なぜ“アンダーグラウンド”だと言われてしまうのか

法的に問題がないものであるサービスがなぜ「アンダーグラウンド」なサービスとして認識されてしまうのでしょうか。世間的に認められないとされる主張をされる方々の主張をまとめてみると、以下のようなものが多いのかと思います。

道徳的(道着的)にアウトだ

「道徳的にダメなんじゃないのか」や「道義的にアウトなんじゃないか」といった形で、批判にさらされることもあります。そもそも「道徳」や「道義」とは何なのでしょうか。

どうとく【道徳】 人間がそれに従って行為すべき正当な原理(道)と、その原理に従って行為できるように育成された人間の習慣(徳)。

●道徳(どうとく)とは? 意味や使い方 - コトバンク https://kotobank.jp/word/%E9%81%93%E5%BE%B3-103962

どうぎ【道義】 人のふまなければならない道。道徳。

●道義(どうぎ)とは? 意味や使い方 - コトバンク https://kotobank.jp/word/%E9%81%93%E7%BE%A9-579840

同じ意味を持つ言葉ともいえるかと思います。しかしながら、意味を説明されたとしても、なかなか理解しにくい形なのかと思います。 基本的には、人が意味づけをしている言葉といえて、その意味づけをする人々の構成であったり、人々の考えや思想が変わることがあれば、その「原理」や「ふまなければならない道」というのは、変化してくるものなのだと思います。

つまり、人に左右させられる言葉で、あまりこれに振り回されていてはいけない、とも言えるのではないでしょうか。

先生を騙すことになる

「宿題代行」といいますと、その完成品を学校に提出するプロセスが発生するものだと思います。

その際に、現状ですと、学校に提出する際に「宿題代行に利用して完成させました!」ということを申し出て提出シチュエーションは想像し難いところであるのだと思います。

そうなってしまうと、必然的に出題者である学校の先生を「騙す」形になってしまうと考えることも無理はありません。 ただ、提出する際に、宿題代行を利用していないことを前提としているという議論はわかりますが、「宿題代行」が当たり前になってしまえば、「宿題代行を利用してやりました!」と発言をするまでもなく、もしかすると「宿題代行を利用しているのかも知れない」という形になる可能性も否定できません。

結論としましては、「宿題代行を利用した」とも「宿題代行を利用していない」とも言っていないわけですから、特段「人を騙す」とは言えないのです。

子どもがお金で解決することを学んでしまう

子どもが「お金で解決すれば良い」と思ってしまうのではないか、という意見はよくあるのかと思います。

●なんでも金で解決出来るなんてことを子供に教えたら駄目https://www.chunichi.co.jp/article/106471

しかしながら、日本は資本主義社会であり、かつ法治国家です。お金がないと生きていけないことを子どもに知らしめる良い機会とも考えられますし、社会を運営していくなかでの最低限のルールは法律という形で定義されているものです。

したがって、社会勉強という意味では、むしろ「宿題代行」を利用するというのは、理にかなっているとも言えるのではないでしょうか。

Uber等の社会を破壊するイノベーションには嫌悪感がつきもの

米国では「Uber」などのライドシェアが広がっています。

「Uber」は登場当初は現行の法律に基づいても、不法であるともいえないもので、特段の規制はない状態から始まっています。

旧態依然とした法規制が及ばない範囲で急速な進化を遂げ規制産業を破壊する製品やサービスというのは、えてして、「合法」と「非合法」の境目、いわゆる「脱法」の立ち位置となっているものは多くあります。

そして「Uber」も既存産業を壊すもので、いまから集団で訴訟をされるリスクも全くないわけではない、というものなのです。登場当初は「Uber」の場合も、全米中の乗客や運転手、行政でいえば市、郡、州、そして最悪は連邦政府、どこからでも訴訟や集団訴訟を持ち出される可能性があったわけで、今でもこの可能性が全て払拭されたわけではない、それが新しいテクノロジーを用いた新たなサービスにつきものなのです。

そして「家庭教師のココア」も、既存の教育制度を崩壊させる可能性があるもので、既存の教育制度に挑戦をしているものなのです。しかしながら、今日の我々の生活に浸透しつつあるサービスのほとんどが、こうしたリスクを抱えて誕生したことに想いを馳せれば、我々のミッションや事業も信じて、皆さまの一助になるべく切磋琢磨していかねばならないのだと感じます。

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