学校教育をディスラプトする

こんにちは。宿題専門の家庭教師・宿題代行「家庭教師のココア」代表の高野祐大です。

日本の学校教育の問題点「受動的」

よく言われる論点としましては、日本の学校教育が「受動的」であるという指摘です。

●日本の教育は受動的!?欧米と比較した日本教育の課題と世界の教育の現状とは?https://blog.ethicalcareerdesign.jp/education-probrem/socialproblem/

学年という形で年齢主義で区分され、同じ年齢の子どもが1クラス40〜30人程度で教室に集められて、教師がその前に立って、授業を行う「一方通行」の教育がよくあるスタイルであります。

しかしながら、社会に出れば、イチからすべてを教えてくれる環境というのは、なかなかありませんし、そもそも教科書のように、「正解がある問題」ばかりではありません。

そういった社会は近年生まれたものともいえます。現在の学校教育ができた、昭和の時代であれば、教科書に正解が書いてある、という社会であったのですが、現在は「正解のない問題」に対して、どういったアウトプットを出せるのかについてディスカッションする能力、そして結果として、問題解決に導いていく能力が子どもたちに必要な能力なのではないでしょうか。

学習の目的が本質的ではない「偏差値重視」

また、もうひとつの観点としましては、学校教育における学習の目的が「本質的でない」点もあげられます。

●偏差値ばかり愛する「教育後進国」の淡い末路
https://toyokeizai.net/articles/-/202867

日本の教育機関の頂点といえば、なにを想像しますでしょうか。やはり大学であり、日本における大学の頂点と考えられるのが東京大学ともいえます。この東京大学は、近年までAO入試や推薦入試を実施しておらず、ペーパーテストによる一般入試に特化したスタイルでの入試でした。

近年の改革により、ペーパーテストのみの試験をやめ、推薦入試を導入し始めましたが、それもかなり限られた定員で、主流はペーパーテストによる一般入試のみともいえます。

そして、日本でいちばんの大学である東京大学がペーパーテストのみの入試を行っていることは、小学校や中学校、高校での学習目的が、ペーパーテストに合わせたものにカスタマイズされてしまう傾向にあるのです。

思考力などの社会で生き抜くために必要なスキルよりも、正解のあるペーパーテストに合わせた学習に重点をおいた形になってしまいます。

その結果、より本質的な、正解のない社会においてどう正解に近いものを生み出すかどうかといった社会に合わせたスキルを培う学びというよりは、本質的でない「良い大学に行くため」に、「偏差値を上げる」ための“教育”になってしまっているのが現状なのではないでしょうか。

日本は外圧でしか変化が起きたことがない

現在の日本において、既存の勢力(既得権益)に大きな変化があったのは、「明治維新」と「第二次世界大戦後」の2つしかない、と言われています。基本的には、外圧でしか変化が起きないのが日本ともいえます。

そうしたなかで、当分強力な外圧にさらされないであろう日本社会で、内側から壊す(ディスラプト)するために、「宿題代行」というサービスが生まれたともいえます。

既存の教育制度を変えるために立ち上がった「宿題代行」

形骸化した一律に出題される「宿題」への挑戦として、「宿題代行」サービスが存在します。

そうした崇高な理念に基づいて生まれたサービスばかりではないですが、そうした理念に基づかなかったとしても、もたらす社会への影響は同じで、一つひとつの力は弱くても、それらの影響は必ず生じていきます。

こうした「宿題代行」をただのアンダーグラウンドなサービスとして考えているのは、物事の表面的なところしか見ていないのかもしれません。

そうしたスキルも日本の教育制度の弊害なのかもしれません。

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